今日は、東京都美術館、田中一村展を見てきました。
明治〜昭和くらいの時代の画家です。
ジャンルは、掛け軸や襖絵など、日本っぽい感じの絵、晩年は、今回の展示のメインの、南国の絵です。
2週連続、上野来てるので、別の美術館も開拓していきたいですね。。
以下、展示内容にそって、日本画?、南国の絵に分けて感想書いていきます。
日本画?
(ジャンルが合ってるか分かんないです。解説にそう書いてあったので。。)
幼少期〜晩年の前まで、の期間は、掛け軸の絵、襖の絵みたいな、日本、中国っぽい絵が多いです。
題材は、鳥、虫などの生物、藤、竹などの植物、枯山水などの風景画がほとんどでした。
これは、批判ではなく、単純な合う、合わない、の問題なのですが、
上手いなあ、とは思うのですが、型が決まっている感じがして、すごく好きって感じではなかったですね。。
具体的には、以下の構図に偏っている印象です。
・画面の下、横の端にメインの対象をおいて、余白を見せる構図
・画面いっぱいに、植物をびっしり書いていく構図
特に一個目は、掛け軸や襖のジャンルの絵ではお作法なのかなーという印象です。
南国の絵
こっちが展示会のメインでした。南国の植物、海、動物を対象に、大胆な構図と色使いに変わっていました。(本記事の最初にあげたポスターの絵みたいな感じです。)
それこそ、前半の掛け軸の絵と同じ人なの!?ってなるくらいの違いです。
私は、印象派や浮世絵など、独特な感じの風景画が好きなので、この展示会も合うかなーというモチベで来ていました。。。
が、不思議と、「合わない」という感想でした。
これは、批判の意図はなく、合う、合わないという話です。
何が、「合わない」ということかは、とても大切なことな気がしたので、分析してみます。
以下の3点あると言う結論です。
①構図
「画面いっぱいに、雑多にいろんなモチーフを描く」という、構図の取り方が合わない、原因の一つ目です。
この構図の意図は想像でき、合理的だとも理解できます。恐らく、大正、昭和あたりの人には、南国の風景は全く馴染みのないものだったのだと思います。当時の本土の人々に向けて、絵を描く、目的であれば、色々なモチーフの詰め合わせ、は、欲しい情報がたくさん詰まっているので、魅力的だったのだなぁという印象です。
何か、見せたいもののテーマ、対象が分散してしまう構図が、現代人の私には、合わなかったようです。
だからこそ、この展示会のポスターは、モチーフが絞られている絵が使われているのかなと、考えれば、この結論は納得な感じです。
②抽象度
「写実よりの絵」が合わない原因の2つ目です。
もちろん、ポスターの絵を見ればわかるように、完全な写実ではなく、かなり、作者の色は感じます。
私の合う、と感じる、印象派や、浮世絵は、光の表現や、版画の表現などが特徴的です。。対象は、風景でも、写実、と言うより、かなりジャンルの色が濃いものです。。
その辺りが今回は、写実よりなので、合わないのかもしれません。要は、写真でよくね?っていう、現代人の穿った見方をしてしまっているのだと思います。
③色彩
「ベタ塗り」の感じが合わないと感じた3つ目です。
印象派は、光の淡い表現があります。浮世絵は、版画なので、ベタ塗りなのですが、グラデーションを技法として明確に出す作品が多く、そもそも版画なので、ムラが出ます。。恐らくそういう、一様ではない感じが、合う、のだと思います。
一方、今回は、ポスターカラーのような、ベタ塗り、の感じが多いので、合わない、となったのかなと。。
以上、合わない、理由を分析してみました。
合う、絵を見てすげーってなるのと同じくらい、合わない理由を考えるのは、学びが多いですね。
何度も書きますが、批判の意図はないです。。恐らく、当時、自分がこの絵を見たら、南国の風景に胸を打たれて感度していたと思います。。。絵は、誰に何を伝えたいかってことが、大事になってくるんだなぁと、考えさせられました。。
もう一個はしごしたので、続きます。